田中革命が終わって【ODDTAXI】

7月18日の日記

シェアハウスのみんなは海へ出かけてた。

みんな優しいから私にも声かけてくれたけれど、私は水着を持っていないし、水にぬれた状態の自分は好きではないので、断った。

 

かといって、一人で出かけるあてもない。

クーラーが効いた部屋でamazonプライムで何か見るかとザッピングした結果選ばれたのが「ODDTAXI」

 

この作品がTwitterでちょっと話題になっていたから全く知らないわけではなかった。例えばこんな風に:「考察が好きな人にはお勧めだけど・・・」

 

ちょっと軽い気持ちで見たり、ながら作業で見るには少し内容が複雑だ、と推察した。暇なので画面釘付けになっても問題なし。

 

そんなこんなで全話(13話)を一日で視聴した。「田中革命」が冗長過ぎて挫折しそうになったけれど・・・。

 

「田中革命」は、もともと冴えないが悪い奴ではない田中が、ゲームガチャ廃人になるまでのエピソードを回想という形で延々と聞き続けなければならないから冗長でつまらない。

田中が小戸川を狙うきっかけもその中で語られる。

ガチャで超レアキャラのカードを引き当てた運命的な日に、通りすがりの小戸川が運転するタクシーに轢かれそうになって、田中は排水溝にスマホを落としてしまった。画面を確定する前にスマホがドボンしてしまったために超レアキャラのカードを失ってしまった。その復讐のために田中は小戸川に復讐を企てる。大体こんな感じ。

 

何かで特別になるために、消しゴム集めに依存していた男の子が、大人になってからゲームのガチャに依存する。

なんだか昔の私を思い出していた。大学生だった当時、私は友人との付き合いであんさんぶるスターズというゲームをやっていたことがあって、ガチャにトータルで4万円くらい使った。(はず)

時間もお金も、つぎ込めばつぎ込むほどそれを回収しようと躍起になってしまう。こういう現象はサンクコスト、と名付けられている。

 

オタクの界隈だと、「推しが幸せになるなら喜んでお金を払う」という思想がある。大学の友人たちは、今でもそうやって言うんだろうか?好きの気持はお金で表現。推しの為に使った金額が愛の大きさ。推しが幸せだったらそれでいい。

今でも何か気色悪さがある。あの思想。もっと身近でお金使うところあるでしょ。部屋に可愛い椅子を置きたくてIKEAの3万円の椅子を買うかどうか3か月迷っている私からすると、ガチャにお金を「溶かす」とか抜かしている人たちはなんだかむかつく。愛の大きさとか抜かすな、実家住みのくせに。(って思っちゃう)

 

一度使ったお金は基本的に戻ってこない。だから、その商品がどんなに魅力的だったとしても、自分が払いたい金額を価格が上回っていた時は、払いたくない。だって、可愛い椅子が無くても問題ない。(しかし欲しいんだよな・・・)

 

ゲームの依存性とか言われて久しいが、YoutubeTwitterに時間が吸い取られるのが嫌で、これらのアプリをアンインストールした。あんさんぶるスターズはとっくの昔に消した。

 

空いた時間でなにをするのかって?ODDTAXIを見た。

コンテンツを消費する以外にやることないのかよ、失望したよ。

 

ゲームとかなくてもアドレナリンが出てほしい。余暇ができても退屈と倦怠でYoutubeで時間をつぶすような人間はちょっと先行きが不安だし。

 

じゃあ、海行けばよかったよね。シェアメイトが今度キャニオニングに行くらしく、私を誘ってくれたので、行くことにした。水にぬれた自分の姿は嫌いだし、知らない人もいるから楽しめるのかわからないが。

 

田中革命の田中は、最終話で元の会社に戻り、何かつきものが落ちたような顔をしていた。金も時間も失った田中は今何に精を出しているんだろうか?それともちょうどいい範囲でゲームを楽しむコツを見つけたんだろうか?

静かな黄金週間

天気予報では晴れのち雨。
たんたんとOくんが出発してから、4日経った。
リビングの、二人が飼っている金魚が濁った水から逃れるように水面でぱくぱくしていた。
かわいそうだから、屋上で水槽の掃除をして水を入れ替えた。
水はきれいになっても、O君が金魚の隠れ家になるようにと入れた白いサンゴに茶色の苔が付いたのは掃除しなかった。
明日やりたい。
 
「午後から雨が降るよ」
昨日スジョンから言われたが、日が照っていて恰好のお散歩日和だと感じた。
黒いアスファルトが灰色に見えるくらい、外は明るかった。
 
だから、昨日twitterのタイムラインで気になった本を借りに、図書館へ歩いていくことにした。
目的の本は、地元の図書館にないが離れたところにある図書館の書庫にはあるらしい。
 
本の名前は「大学なんか行っても意味はない?」という。
 
初めて行く図書館は、小高い丘の上にあった。
白亜の壁と突き抜ける青空と生い茂る緑が色鮮やかでさわやかな夏を感じたが、
急斜面を上るのはそれなりにだるかった。
手とか頬に冷たさを感じ、肌に目を凝らすとごく小さな水滴が。
晴れているし、空気に湿り気があるわけではないが、もう雨が降り出している。
目的の本を借りたあと、帰路でも空模様は相変わらず晴れていたので、徒歩でてくてく帰った。
家に帰ってリビングでくつろいでいると、雨がざぁざぁと降り始めた。
まるで私が家に着いたタイミング見計らったかのようで、出かけるとき傘を持ってなかったから運が良かった。
 
そのあと、Netflixで映画「ムーンライト」を見た。
見終わったあと、借りた本を読み始めたが、映画を見始めたときからの眠気が本格化したので、シャワーを浴びて布団に入った。
 
そのあと、スジョンが作ってくれたご飯をみんなで食べた。
私が住んでいるシェアハウスでは、今でも大皿の料理が並び、
同じ皿から料理を食べている。
 
コロナがあるから、こういったことは禁止にするべきなのだろう。
でも、誰も気にしていないのを知っているから私も構わず箸をつけた。
手洗いうがいは欠かさずするが……。

転職するまでのモノローグ

これからどうなっちゃうんだろうね。

日本も世界も、なんだか破滅していくように見える。

見える、というか、昔から破滅に向かっていて、それが表出するようになり、市井の人でも肌で感じるようになったんだろうな、と思う。

どうやったら、安心できるようになるんだろう?でも、安心する代わりに魂を売っているような感じもある。

日本が素晴らしいと言われている時代に幼少期を過ごし、まさに衰退してる様を見ている。

よりよくなる方法があるはずなのに、何も良くならない。

今いる会社もそうだ。

体力が無いとか、余力が無いとか言われているけれど、私の会社はゆとりがあっても、誰もやらないんじゃないだろうか。

よりよくなることよりも、毎日をつつがなく終わらせることを至上としているように感じるし、ルールを見直すよりもルールを増やしてそれを遵守することを大事にしている。

 

つまんないね。

 

転職するより、ただ仕事を辞めたいけど、守りに入ってしまって、今転職するために面接を受けている。

一次面接は合格した。でもなんだか憂鬱だ。

今の会社に何も利益をもたらせないまま、会社を辞めなきゃ行けないのが心残りだ。

仕方の無いことなのだけれど。

味気ないじんせー

時間に対する解像度、という言葉を最近知った。

 

時間に対する解像度は、記憶の鮮明さと相関があるようだ。

解像度が低ければ、記憶に残らない。

解像度が高ければ、記憶に残る。

 

他にも、体感時間と相関がある。(っぽい)

スポーツ選手がゾーンに入った時に、一瞬がとても長く感じられることがあると言うし。

 

そんなわけで、私はどうか?

 

私は昨日やったことなんてほとんど覚えてない。

時間の解像度は超低い。モザイクかかってる?笑

一応、昨日印象に残っていることを書く。

 

昨日はシェアハウスでめぐちゃんとOくんと島津亜矢のfirst loveを聴きながら盛り上がっていた。

 

"first loveには「だれを思っているんだろう~」という歌詞があるが、みんなカラオケで「だれを思っているんだはーー」と歌っている説 "という水曜のダウンタウンのネタで盛り上がっていた。

どうでも良いことで爆笑できるのは、良い時間だと思う。

でも仕事時間の解像度の悪さたるや

 

シェアハウスのAIちゃんは、20代のほとんどを、海外のワーホリで過ごしていたらしい。

 

ひるがえって私は嫌な仕事を辞めたいのに我慢して4年も続けてる。

自分の人生の解像度を上げるために、何をしたいかな……



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↑これは、めぐちゃんとOくんと海に行った時に、Oくんがふざけて私の靴の上に乗せたウミウシ(?)

ハッピーシェアライフ!

昨日はシェアハウスの入居者歓迎パーティーがあった。

コロナ禍でずっと空部屋だった2部屋に、同じタイミングで人が入居したのだ。

新しい入居者が入るのは、内心あまり嬉しくなかった。

共有するお風呂とか洗濯機は争奪戦になるし、冷蔵庫は使ってないスペースを今まで広々使っていたから。

 

その日私はかなり眠くて、午後6時から寝はじめていた。

夢見が悪かったが、8時頃パーティに途中参加した。

二人目の入居者であるA子さんはいたけど、一人目の入居者であるキムさんは、まだいなかった。

 

A子さんとは、リビングで話したことがあるから、既に顔見知りだった。

もう一人のキムさんは、ちょっと微妙な間柄だった。

先週の月曜日、寝起きでトイレを使っていると、ガチャッと扉が開く音がした。

誰だ、月曜日に朝帰りした奴は。と思いつつ、同じフロアを使っているのは、新しい入居者を除けば、もとからいた同居人であるメグちゃん以外あり得なかった。※流石に入居して間もない人は荷解きとか落ち着いてないから朝帰りなんかしないだろう。

そしてトイレから出ると、そこにぬぼっと人が立っていた。シルエットはめぐちゃんに似ていたが、それにしては背が高い気が……

 

お互いに様子を伺っていた。その間、5秒くらいだろうか。めぐちゃんでなければ、不審者の可能性もある。

牽制しあうようにお辞儀をする。

「誰ですか?」

私は寝起きの回らない頭で聞いた。

「201のキムです」

ここで私は不審者ではなく新しい入居者だったのだと、合点がいった。

寝起きで頭が回ってなかった上に、裸眼で顔が見えなかったこともあいまって、失礼なことをしてしまった。

 

そう思っていたのだがそれは全くの杞憂だった。

 

遅れて登場したキムさんは、私たちの邂逅を面白い話にして場を沸かせた。

比喩ではなく、ドッカンドッカン笑いが起きた。

キムさんは喋りに関しては、大阪人みたいだった。私は明石家さんまを連想したが、プロの咄家みたいだった。学校にはいないが、親戚に一人はいる、とるに足らないエピソードを面白く話せる才能を、彼女は持っていた。

そんなこんなで、私は、自分自身のボケた問い(誰ですか?)に、今年で一番の爆笑をすることになった。

普通に生きてたら、キムさんのような人と出会えたり話したりする事は絶対にない。

そんな人に出会えるし一緒に住めるから、シェアハウスは楽しい。

打算的に生きられないね

人生、「いつの間にか長生きしちまった。。。」という気持ちになることありませんか?

 

そして検索窓に入れるキーワード。

「20代 生き方」「20代 やりたいこと」「死にたい」

 

そういうこと、調べてもアフィカスブログしか

ヒットしないってわかっているのに、何度でも同じことしてしまうね。

 

なんだか人生が長いな、と思うようになったのは、たぶん高校生だったと思う。

 

さっさと死にたかった。

 

それなのに、何歳になっても実行できなかったんだ。

 

そして、そうこうしているうちに、成人し私は大学を卒業して働くことになった。

私が卒業した年は「売り手市場」なんていわれていて、

実際、私もたいして熱心に就職活動をしなかったけれど、内定は普通にもらえた。

 

自立してから、すぐに仕事を辞めたくなった。

いわゆるブラック企業ではなかったものの、

別に「誰の目にも明らかな」理由なんてなくても、辞めたくなるもんだ。

 

そうは言ったって、

自尊心を限界までこそげ取っていた私は、

すぐに転職しようという気持ちにはなれなかったのだ。

 

毎日毎日同じキーワードを打ち込んで、

布団の中で鬱々と過ごしていたころ、

こんな動画がおすすめに上がってきた。

 

Why 30 is not the new 20 | Meg Jay

 

私は、「何をすべきか」Googleがうんざりするほど

検索してきたけれど、この動画を見てから、それらは無意味だとわかった。

 

やるべきことは、不安にさいなまれながら、

即物的な解決先をアフィカスブログから見つけることではない。

 

動画内でメグ・ジェイが言う

アイデンティティ・クライシスに陥っていることを忘れて、

アイデンティティ・キャピタルを作りましょう」

は、最も説得力がある言葉だ。

 

「自分は何が向いているんだろう?」と、悩む時間は、

すべてキャピタルを作るための時間へ変えていくべきだ。

 

それは、できるだけ長く「死にたい」と考えずに

没頭できる物事でなければならない。

 

そうすれば、メンヘラも、将来の不安も多少は解決するでしょうから。

私はこの動画をすでに何十回も再生している。

 

始めは、「そんなこと言われたって、毒親育ちだから何をすればいいのかわからない・・・。」と思っていたけれど、

何度も再生していくうちに、

メグ・ジェイが言っていることが、

一番合理的かつ、解決可能な方法だとわかるから。

今もしメンタルで悩んでいる人がいたら、ぜひ動画を再生してみてほしい。

 

 「何かを成すには人生は短すぎるし、

何もなさずに暮らすには人生は長すぎる」

という言葉があるが、その通りだと思う。

 

 

山積みの本のふもとにて

「今年、学んでみたいこと」

 

 

学生時代、「人間は死ぬまで勉強だよ」と言われたことがある。

 

今は疎遠になった、親にも、おばあちゃんにも言われていた。

 

そのころの私は、それは、趣味の延長みたいなものなのだろう、と

思っていた。

現におばあちゃんはカルチャーセンターみたいなところに通って、

俳句を詠んでいた

 

たまに、先生に褒められた、と、私に見せてきたし、

句集(?)にそれが載っていたのも見たことがある。

さりとて、私はそのような言葉や姿に感銘を受けて、

何かを始めたことなどない。

 

勉強は指示された分だけ。

それ以外で、自分の為に勉強したことなどなかった。

自分の為に勉強することなど、思いつきもしなかったのだ。

 

今日、ブクログというアプリを入れた。

本が好きな人なら、おなじみのアプリだろう。

 

会員登録して、アプリの機能をかくにんする。

フムフム、本棚に入っている本をすべて登録できるらしい。

しかも、本の裏側にあるバーコードを読み取れば、

いちいち検索窓にキーワードを登録する必要もない。

 

私はせっせと、本棚に入っている本のカバーをはずし、

アプリに読み込ませていく。

 

全部で153冊あった。

電子書籍の方が冊数が多いから、実際にはもっと本はあるんだけれど、

思ったより少ないな、と思った。

 

登録した本には、ステータスを登録することができる。

「読んでみたい」「今読んでいる」「積読」「読み終わった」

こんなものだっただろう。

 

バーコードをよみこんだ本の一つ一つにステータスを登録していく。

 

すると、私が何の本を持っていて、

どのくらい読んでいるのかが、一目でわかった。

 

積読の多さに辟易としながら、

本棚(バーチャル)の一覧をスクロールする。

メンタル系の本と、プログラミング関連の本が多いかも。

 

そんなことを思った。

私が勉強しようとした証である。

 

と、書こうかと思ったけれど、辞めましょう。

 

えぇ、積読してる場合じゃない、

尋常じゃない量の技術書がそこにありました。

 

早く全部片づけちゃいたいという気持ちと、

もう勉強など投げ出して、

自分の力試しを社会でやりたいという気持ちが

せめぎ合います。

 

もうインプットは飽き飽きさ。