あやまって
母親と絶縁したのは、
母の誕生日の次の日だった。
意図したわけではなく、ただ私の憎しみが再び爆発したのがその日だっただけだ。
火山の噴火後もしばらくマグマが地中から流れ出るように、私はその日何度もメールを送った。
私は、社会人一年目の2月に、一人暮らしを始めた。
それまでは実家暮らしをしていた。
通っていたメンタルクリニックの先生から、「家を出て、いろんな人と出会った方がいいよ」と言われていたものの、これまで実家暮らしの苦痛に耐えていた私にとって、一人暮らしを始めることは別の面倒さがあった。
しかし、一人暮らしをするきっかけとなったのは「別に、家賃が安いところもあるよ。社会人向けの寮みたいなところに住んだり、シェアハウスに引っ越したりすればいいよ。」とその先生に言われたこと。
そして実家から出るのは、幼いころから私が願っていたことだからだ。
あれほど私を罵倒していた母親は、私が一人暮らしを始めてから、まるでいたわるような、ねぎらうようなメールを寄越すようになった。
敬語を使うようになった。
母親が、「優しい母親」を演じていて腹が立った。
昔から母親は外面が良く、私がいろんな人に相談したり、愚痴を言っても、「でもあなたのお母さんは優しい人だと思うよ」と言われ続けた。
当時の母がどんな気持ちだったのか?
反省していたのか、それとも私にも外面を向けるようになり、実家に戻ったら元の態度に豹変したのかわからない。
メールを読むたびに、少女時代の私が抱える憎しみが頭をもたげた。
昔言われたことがフラッシュバックして何度も泣いた。
さらに2年経っても、私は親の呪縛から逃れられなかった。
だから、「その日」私は宣言した。
私の為に、何もしないでください。
その代わり
・メール電話は寄越さないでください。
・冠婚葬祭には出席しません。呼ばないでください。
・私から金銭の要求があったとしても、応じないでください。
私からの絶縁宣言だ。
その日、母は仕事をしていたらしい。
私の母は、還暦を超えているのに、今でも仕事をしなくちゃいけないのだという。
何の仕事をしているのか知らない。
返信にはこう書かれていた。
今日は仕事で、電源を切ってました。
貴方を傷つける事を言ってごめんなさい。その事で、3年も精神病わずらってしまって、ごめんなさい。
私がもう少し言いかたを考えればよかったのに、私も心の余裕がありませんでした。
お金は返さなくていいです。私もうつ病になりそうです。精神科にかかります。
もう、メールも電話もしません。
人生で、母が初めて謝った。
今まで「あなたの為にアドバイスで言っていただけなのに!!」と、開き直っていた母が。
そうか。私が実家にいる限り、この人は私を人として対等に向き合う気がなかったのだなと思った。
そうか。そうか。